"私"という人間

強迫性障害、躁鬱病、社会不安障害、解離性障害との闘病日記です。

半透明な記憶の欠片と傷痕

こんばんは、みおです。


今日は朝からバタバタした1日でした。4時頃にやっと眠れて、10時くらいに目を覚ましました。

病院は夕方からだったので、それまで母に頼まれた買い物と自分の買いたいものがあったので昼前に家を出ました。



久々に空を見ると、綺麗でした。つい写真を撮ってしまったので載せておきますね*



皆さんの中の空の色は何色ですか?季節にもよりけりでしょうけれど、私の中の空は薄い青色です。雲の隙間から微かに光が差し込んでいます。



年明けだからか、お洋服屋さんはセールを沢山していますね。前まではデザインやブランドにこだわっていましたが、今では安くて良さそうなものに目を惹かれます。安くても安物っぽく見えないように着たいな。

冬はどうしても暖かいニットに目がいきます。ただ、私は肌が弱いのでチクチクして着れないものもあるのが困ります。寒い日が続くので、代わりに裏起毛付きのものを着たりもします。


色んなものに目移りしながらも、なるべく買いたい衝動を抑え、必要なものだけ買いました。我慢できたね、偉いよと心の中のもう一人の自分が褒めてくれたように思います。



交通費が勿体無いと思ったのと、普段引きこもっているので運動がてら病院まで一駅分歩きました。流石に一駅分歩くとなると足が疲れますね。


病院に着くと、いつもの先生は急遽お休みになったそうです。私の苦手な先生の診察になりました。相談しようにも、担当医と今度相談しなさいねとしか言ってもらえず、睡眠薬のミリ数を変えてもらえただけでした。

やっぱり先生にも合う合わないはありますね。心療内科となると特にそう思います。今の先生とは合うようで、そこまで辿り着くまで数ヶ月はかかりました。



今日は過去の話をしたいと思います。

※かなり長くなりますがお付き合い願います。



一番最初に行った病院は記憶が既に曖昧ですが、高校1年生の時でした。春先に精神的に不安定になることが多く新しい人間関係に疲れ果て躓いてしまいました。

通っていた学校は、私立の元お嬢様学校だったようで、女の子が多く既に出来上がったグループに私は馴染めずにいました。

一緒にそこに進学しようと約束していた友人は併願していたようで、公立の学校へ行ってしまいました。裏切られたような気持ちになり、独りぼっちになりました。


今の恋人と付き合っていたので、恋人と話す時間が私の唯一の救いでした。

学校に行きたくない、眠れない、人目が怖い、と電話越しに泣きじゃくる私に恋人は「無理だけはしないでね」「よく頑張って学校行けたね、偉いよ」と優しい言葉をくれたのを今も覚えています。

この頃は既に彼女の親に関係がバレて会うことはできていませんでした。今思うと、恋人だってきっと新生活に苦しんでただろうに、私の愚痴で疲れさせてしまってたのでは、と思わずにはいられません。



元お嬢様学校ということもあり、女の子目当ての男子生徒も居たようで、目を付けられてしまいました。

部活見学に行った次の日のこと。「昨日、部活見学来てくれてたよね」と急に話しかけられました。先輩の男子生徒でした。携帯番号教えて、メアド教えて、デート行こう、等と必要以上に迫って来たので何とか必死に躱していました。


すると。

帰り道、何となく視線を感じるなと思ったらその人が傍に立っていました。途端に気持ち悪くなり、急いで送迎バスに乗り込みました。

ほっとして電車に乗り揺られていると、少し遠くに同じ学校の男子生徒数人。視線を感じてちらっと見ると、一人と目が合いました。さっきの男子生徒でした。

降りる駅が違ったらしく、他の男子生徒は降りてからふと携帯画面から顔を上げるとすぐ間近くにその人がいました。


「携帯番号、教えて。もう学校の外だしいいでしょ?」と物凄く詰め寄られました。距離感も凄く近くて、手すり近くにいた私は遮られる形で何度も誘われていました。怖かった。

彼氏居るの?可愛いね、髪つやつや、色白いし細いねえ、胸大きいよね、など褒めているつもりなのでしょうけれど、私からすれば気持ち悪くて不快極まりない。きっと身体目当てだったのでしょう。

「彼氏がいるので」と半ば無理やり押し切って自分の最寄り駅で降りました。本当に気持ち悪くて、暫く震えと吐き気が止まらなくなり過呼吸を起こしながら駅のホームで休んでから帰宅しました。



きっと悪化したのはそれ以降です。

リストカットが再発し、過呼吸を起こすようになりました。拒食症になり、当時は身長158cmに対して体重は45kgくらいしかありませんでした。

今では倍に増えてしまっていますが笑

食べ物を粗食してトイレに吐き出す行為等もしました。たまにこの頃の体重に戻れたらなと思ってしまう辺り、摂食障害はまだ治っていないように思います。


ずっと市販薬ODを繰り返したり、ダイエットを試みたり1週間食べない、なんてことは普通にありました。食べれてもおにぎり一つを食べるのに数時間かかりました。

電車を待っていて何度も飛び込もうかと考えましたが他の人の迷惑になる、と考え毎度気持ちを押し殺していました。



一睡もできないまま、強制的に母に学校へ連れて行かれたこともあります。特別教室に連れて行かれ、記憶が飛び飛びになる毎日。学校へ行ったのかすらわからない日もありました。


あいつ(先輩の男子生徒)がいる学校に行きたくない、高校生にもなってお手洗いに一緒に行こうと誘われる意味がわからない、クラスに打ち解けられない。色んな心境で心はぐちゃぐちゃでした。



そんなある日のこと。

突然頭の中で色んな声が聞こえるようになりました。否定的な言葉もあれば優しく話しかけてくれる声、小さい子の声。男女や子供、性別のわからない中性的な声など様々でした。

この頃から、1日の記憶どころか数週間、数ヶ月の記憶が抜け落ち断片的にしか思い出せなくなることが増えました。母との会話も噛み合わず、恋人とのLINEも見返すと知らない人のような口調で話していることが増えていたことは覚えています。



完全に不登校になってしまった私を母が心療内科に連れて行ってくれました。暫く通院し、診断されたのは〈解離性同一性障害〉というものでした。所謂、多重人格です。

耐えきれないストレスを抱えた時に"自分ではない自分"としてみなし、これは自分に起こっていることではないと思い込むことで、自分を守ろうとしていたようです。聞こえていた声は全て自分の中の別人格ということをやっと理解しました。



どうやらキツい薬ばかり出されて薬漬け状態にされていたようで、ふらふらで呂律も回ってなかったそうです。

1日に何度も人格は入れ替わり、無口になったり優しい口調になっているかと思うと、突然苛ついたような口調になったりしていたそうですが全く記憶がありません。突然遊びたがる子供のような時もあったそうで、イマジナリーフレンドというものもいたそうです。

その間記憶はほぼ無いに等しいです。


ぼんやり覚えているのが、妹が泣いていたこと。「みおなのにみおじゃない」と泣いて母に抱きついていました。悲しい思いをさせてしまったのかもしれない。



恋人に解離性同一性障害のことを打ち明け、それでも一緒に居てくれると言った彼女を最初は嬉しく思いました。けれど一緒に居たらきっと疲れさせてしまう、幸せになんかしてあげられない。そう思ってしまいました。

そこからお互い泣きながらの言い争いになり、結果別れてしまいました。

最後に彼女は「もう私は要らないんだね」「さよなら」という言葉を残し、音信不通に。今付き合ってる恋人と同じ人ですが、今思うとこの頃から境界性パーソナリティ障害の傾向があったのかもしれません。



その彼女の言葉を見て、私は生きてる意味がわからなくなりました。急に真っ暗になり、地面に落ちていくような盲目になってしまったような感覚。無くして初めて気付く大切さ、貰った愛情。そんなことを思い返しながら私は自殺未遂を図りました。

剃刀を数本持って家から出て、階段で腕を切り裂きました。出血多量で死ねるなんて、甘い考えでした。あちこちにケロイドの傷が残っています。


私が死ななかったのは、母曰く別人格のおかげだそうです。私は全く覚えてないのですが血だらけで家に戻って、たまたま仕事休憩に戻ってきていた母に「助けろ」とだけ言い残して気絶したらしいです。

血だらけの階段を見て誰かが通報したのか、警察まで来たそうです。家に来て母が何とか事情を説明し、階段掃除を手伝ったそうです。その時の私は何も喋らず、まるで抜け殻のようだったと母は言っていました。



今思うと、なんて浅はかなことをしたんだろうと思います。酷く悔やんでいます。腕に残った傷は一生消えることは無いでしょう。けれどこれは私の生きようとした証です。私の中の別人格も今はもうだいぶ減ったようで、名前もあまりわかりません。

母に当時のことを聞こうとしても、言葉を濁して「嫌なことは思い出さなくていい」と言われます。



生きるのは苦しい、けれど足掻いてみたい。頑張ってみたい。病気と向き合いながら、今日も生きています。辛い日もありますが、ほんの些細な幸せでも見つけれたらな。


苦しいけれど、辛いけれど、生きていきます。

支えてくれる人がいるからその未来の為に頑張ります。

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